2016年7月2日土曜日

もしハプスブルク家がドイツ統一を果たしていたら

世界史においてドイツほど可能性を感じさせる国なはい。ドイツ民族はヨーロッパ最大の人口を誇る民族でありながら、歴史的因果によって民族の統一は妨げられ、近代までイギリスやフランスの後塵を拝してきた。それでも帝国主義の時代にドイツは飛躍を遂げて、ヨーロッパ最強の座を手に入れた。イギリスを追い抜くのに半世紀もかからなかった。世界大戦に敗れたドイツは二つの帝国を失うが、ナチスという最悪の環境下においても歴史の表舞台に出るのに時間はかからなかった。二回目の大戦ではヨーロッパ全土の占領に王手をかけた。結果的にアメリカとソ連という二つの超大国を前に敗れ、戦後は分断という苦難が待ち受けていた。しかし、ここでも驚異的な復興を果たしたドイツは今や欧州連合の中心として再び列強の地位に登りつめている。何度敗れても這い上がる、それがドイツという国である。もしドイツに運さえあれば、歴史の行方は大きく変わったのではないだろうか。
 
ドイツの運命を左右する鍵はハプスブルク家にあると思う。16世紀にハプスブルク家は広大な領土を統治するため、スペイン王家とオーストリア大公家に分かれた。この分裂がドイツの悲劇につながった気がしてならない。もし、スペイン育ちのフェルディナント1世がスペイン王家を継承し、カール5世がドイツに留まっていれば歴史は大きく変わっただろう。カール5世はネーデルラントの先進的な気風の中で育ち、元来プロテスタントには寛容な人物であった。カール5世がオーストリア大公家を継承していれば、カトリックとプロテスタントの対立によるドイツの分断は防ぐことができた。有力諸侯と正面から対決することは避け、オスマン帝国やポーランド共和国といった外国を標的に国内をまとめ上げる。獲得したハンガリーやポーランドへドイツ民族の入植を進め、東欧のドイツ化によってハプスブルク家の勢力は拡大していく。18世紀末には東欧におけるドイツ民族の人口は本国に匹敵するまでに成長し、ハプスブルク家は名実ともにドイツ民族の王となったはずである。ナポレオン戦争の過程でドイツの有力諸侯を滅ぼしたハプスブルク家は19世紀初頭にドイツ統一を果たし、19世紀末にはバルカン半島の全域をオスマン帝国から獲得するだろう。

そしてドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の誤った外交戦略がなければ、ドイツ帝国は露仏同盟に対抗して大英帝国と同盟を結んでいたはずである。19世紀の大英帝国はアフリカにおいてフランス帝国と、アジアにおいてロシア帝国と植民地獲得競争を繰り広げ、ドイツ帝国は最も摩擦の少ない列強であった。ドイツ帝国にとっても東欧の領有を争うロシア帝国こそ最大の宿敵であり、ドイツ帝国と大英帝国は互いに同盟の締結を選択する。ドイツ帝国にバルカン半島を奪われたオスマン帝国、ドイツ帝国と南チロルの領有問題を抱えるイタリア王国は露仏同盟の陣営に付いた。20世紀初頭の日露戦争はヨーロッパに飛び火して、フランス帝国によるドイツ帝国への電撃侵攻によって第一次世界大戦は開始する。開戦当初は四方面作戦を強いられたドイツ帝国が圧倒的に不利な立場にあったが、アラブ民族の反乱によってオスマン帝国が戦線を離脱し、大戦後期にはロシア革命の勃発によってロシア帝国も戦線からの離脱を余儀なくされる。国力で劣るフランス帝国は戦争の長期化によって降伏に追い込まれ、ドイツ帝国は逆転的な勝利を収める。

第一次世界大戦の結果、ヨーロッパは大英帝国とドイツ帝国の二強体制に移行する。大英帝国はフランス帝国と領有を争っていたエジプト王国を保護国とすることに成功し、ロシア帝国の影響下に置かれていた中華民国とペルシャ王国を勢力圏に加え、史上類を見ない巨大な植民地帝国を完成させる。一方、ドイツ帝国の版図もイスタンブール西岸にまで達し、ロシア帝国の敗北によって東欧のスラブ民族主義は終焉を迎える。ドイツ帝国が得るものはそれだけではない。ドイツ帝国の崩壊がなければロシア革命もまた失敗に終わっていたはずであり、革命鎮圧のためにロシア帝国は一転してドイツ帝国と同盟を結ぶことになる。革命政府はドイツ帝国の参戦によって崩壊し、以降のロシア帝国はドイツ帝国の支援を受けて急速な近代化を遂げる。後方の憂いを解消したドイツ帝国は大英帝国との覇権競争に乗り出していく。

ドイツ帝国は既にアフリカにおいて英仏の隙間を縫うように、トーゴ、カメルーン、ナミビア、タンザニアに植民地を築いているが、第一次世界大戦後はトルコ共和国を保護国に加えて中東に進出する。オスマン帝国旧領の内、アラブ民族の居住地域は大英帝国の勢力圏となっていたが、唯一パレスチナのみはドイツ系ユダヤ人の移住先としてドイツ帝国の植民地となる。やがてユダヤ人とアラブ人の対立はドイツ帝国と大英帝国の間に摩擦を生み出していく。さらにドイツ帝国は北アフリカへの進出を目論むイタリア王国、スペイン王国と連携して、既得権益の維持を目指す大英帝国を追い込んでいく。大英帝国は宿敵であったフランス共和国と一転して同盟関係に至り、中東と北アフリカをめぐる対立はヨーロッパを二大陣営に分裂させる。

極東においては日露戦争に勝利した大日本帝国が満州を獲得し、中国大陸への進出を強めていく。中華民国は袁世凱を中心とする北京政府と孫文を中心とする南京政府に分裂しており、大英帝国と大日本帝国は北京政府、ドイツ帝国とロシア帝国は南京政府を支援して、中華民国の内戦は列強の代理戦争の様相を呈する。孫文の後継者となった蒋介石はドイツ帝国の支援の下で近代化を進め、ロシア帝国の軍事支援を受けて北伐を開始する。中華民国は南京政府の下で統一され、大英帝国は世界大戦で手に入れた中国大陸の覇権を失ってしまう。さらにペルシャにおけるレザー・パフレヴィーのクーデター、英領インドにおける独立運動の激化によって、大英帝国が築いた植民地帝国は崩壊に向かっていく。

世界恐慌を契機に自由貿易体制が崩壊すると、列強の抗争は激しさを増すようになる。ドイツ帝国のペルシャ内戦への介入、イタリア王国のエチオピア侵攻、スペイン王国のモロッコ侵攻、大日本帝国の満州侵攻といったような局地的な紛争が頻繁に発生し、大英帝国が広大な植民地帝国を維持できずに没落する一方で、国際社会はドイツ帝国とアメリカ合衆国を中心とした二つの陣営に分かれていく。しかし、第一次世界大戦の経験から列強は破局的な戦争の勃発を恐れ、第二次世界大戦の発生は回避される。この背景にはドイツ帝国がアメリカ合衆国に先んじて核兵器の開発に成功したこともある。ドイツ帝国とアメリカ合衆国は対立を続ける一方で、両国が中心となって大戦の発生を防止するための機関として国際連盟が設立される。以下にアンガス・マディソン教授の統計を用いて、1937年時点における主要国のGDPを示す。黒字がドイツ帝国の陣営、赤字がアメリカ合衆国の陣営であることを示している。

1.アメリカ合衆国 8325億ドル
2.ドイツ帝国 6439億ドル
3.ロシア帝国 4105億ドル
4.大英帝国 3027億ドル
5.中華民国 2960億ドル
6.英領インド 2508億ドル
7.大日本帝国 1956億ドル
8.フランス共和国 1881億ドル
9.イタリア王国 1430億ドル
10.独領インドネシア 785億ドル
11.アルゼンチン共和国 557億ドル
12.英領カナダ 507億ドル
13.ブラジル共和国 484億ドル
14.スペイン王国 453億ドル
15.英領オーストラリア 393億ドル
16.メキシコ合衆国 348億ドル
17.スウェーデン王国 326億ドル
18.トルコ共和国 270億ドル

ドイツ帝国とアメリカ合衆国の協調によって、第二次世界大戦の勃発は未然に防がれた。両国は表向きの友好関係を保ちつつ、世界規模の軍事同盟を構築して冷戦時代に突入していく。冷戦構造の基盤となるのは独露同盟と米英同盟の対立である。19世紀まで宿敵関係にあったドイツ帝国とロシア帝国はロシア革命を契機に同盟関係へと発展し、ロシア帝国はドイツ帝国の支援を受けて近代化を果たし、ドイツ帝国もアジアに強い影響力を持つロシア帝国との同盟は覇権構築の礎となっている。ドイツ帝国にとってロシア帝国は地政学的に宿命的なライバル関係にあるため、逆説的にロシア帝国と同盟を結ぶことでドイツ帝国は最大の安全保障効果を得ることができる。ドイツ帝国とロシア帝国の同盟を相手に陸軍力で優位を得るのは不可能に近い。人的資源に恵まれたドイツ帝国と物的資源に恵まれたロシア帝国は相互に不足する資源を補うことのできる経済的にも最適なパートナーである。

一方、米英同盟は独露同盟に対抗して生まれた後発の同盟関係である。ドイツ帝国と大英帝国の覇権競争はドイツ帝国の勝利に終わり、大英帝国は中華民国とペルシャを手放すこととなった。自由貿易を求めるアメリカ合衆国と植民地において保護貿易を実施する大英帝国は経済的な敵対関係にあったが、膨張するドイツ帝国に危機感を抱いたアメリカ合衆国は大英帝国との同盟を選択する。ドイツ帝国とロシア帝国がランドパワーの筆頭であるとすれば、アメリカ合衆国と大英帝国はシーパワーの筆頭である。アメリカ合衆国との同盟によって大英帝国は世界に散らばる植民地帝国を維持することができる。また、アメリカ合衆国は大英帝国の植民地にアクセスすることで世界一の経済大国として十分な市場を確保することができるようになる。

米英同盟にとってヨーロッパにおいて最も重要な国がフランス共和国である。ドイツ帝国はイタリア王国とスペイン王国の北アフリカ侵攻を支持する中で両国と同盟関係を構築している。包囲される形となったフランス共和国が敵対陣営の侵攻を受けて陥落すれば、米英同盟はヨーロッパ大陸への橋頭堡を失ってしまう。アメリカ合衆国、大英帝国、フランス共和国、デンマーク王国、ノルウェー王国、ポルトガル王国は第二次世界大戦の勃発に備えて北大西洋条約機構を構築し、フランス共和国を拠点にドイツ帝国の軍事的脅威に対抗している。一方、ドイツ帝国もロシア帝国、イタリア王国、スペイン王国、スウェーデン王国と共にワルシャワ条約機構を構築し、ヨーロッパを分断する二つの軍事同盟が生まれる。

世界大戦の教訓から両陣営はヨーロッパにおいて戦火を交えることはないが、ヨーロッパの裏庭となっている中東と北アフリカでは別の話である。旧領の奪還を目指すトルコ共和国とアラブ民族主義を掲げるエジプト王国はシリアを舞台に紛争を繰り広げ、宗主国であるドイツ帝国と大英帝国の代理戦争の様相を呈している。大英帝国から独立を果たしたペルシャ王国はドイツ帝国の支援を受けており、シーア派地域の統合を目論んでイラクやアラビア半島への侵攻を繰り返している。第一次世界大戦によってドイツ帝国が獲得したパレスチナはドイツ系ユダヤ人の植民地として発展し、領域の拡大を目指してエジプト王国を筆頭とする周辺アラブ諸国との紛争を引き起こしている。北アフリカではリビアに続いてエチオピアの領有に成功したイタリア王国が勢力を強めており、北アフリカに既得権益を持つフランス共和国との対立を深めている。

西アジアと同様に東アジアでも熱戦が展開されている。ドイツ帝国とロシア帝国の支援を受けて北伐に成功した蒋介石の中華民国は大日本帝国の満州侵攻に直面する。近代化に成功したアジア唯一の国を前に中華民国は敗戦を重ね、満州占領と華北侵攻の憂き目に遭う。中華民国はドイツ帝国とロシア帝国の支援を要請し、日中戦争は列強間の戦争へと発展する。最終的に大日本帝国は朝鮮半島への撤退を余儀なくされるが、敗戦によって蒋介石の指導力は失われ、中華民国は再び軍閥が割拠する時代に戻る。ドイツ帝国が華北、ロシア帝国が満州を事実上支配するようになり、敗戦を経て大日本帝国はアメリカ合衆国との同盟締結に至る。

自由貿易を標榜するアメリカ合衆国は同盟国となった大英帝国、フランス共和国、大日本帝国といった列強に植民地の解放を求めた。アメリカ合衆国が率先してフィリピンの独立を承認すると、アジアとアフリカでは植民地の独立運動が盛んとなり、世界最大の植民地帝国を有する大英帝国も独立後の影響力確保を目論んで独立運動に正面から抵抗することはなかった。ドイツ帝国の陣営も植民地問題で第三世界を敵に回すことを恐れ、1940年代後半から陣営を問わず植民地の独立が進んでいく。植民地は独立を果たしたものの、経済的には旧宗主国への従属を強いられ、政治的にも冷戦構造に組み込まれていく。

冷戦は本質的にランドパワーとシーパワーの対立が基盤となっており、両陣営の攻防はリムランドを中心に行われていたが、1950年代に入るとアメリカ合衆国の裏庭となっていたラテンアメリカも冷戦対立の戦場となる。ラテンアメリカは事実上アメリカ合衆国の支配下にあり、ドイツ帝国はラテンアメリカに根差す反米主義を利用して搦手からアメリカ合衆国に戦争を仕掛ける。反米主義の筆頭はラテンアメリカ唯一の白人国家アルゼンチン共和国である。アルゼンチン共和国を拠点にドイツ帝国はラテンアメリカにおける反米闘争を展開し、ラテンアメリカ諸国を内戦の渦中に陥れていく。

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