2016年5月11日水曜日

経営戦略全史まとめPart4 ケイパビリティ派の群雄割拠(1980~1990年代)

◆日本企業の躍進
マイケル・ポーターが経営戦略とはポジショニングの選択であると論じたのに対して、ポジショニングでは説明のできない事象も起こっていた。それは1970年代から本格化する日本企業の躍進である。複写機市場でゼロックスに挑んだキヤノン、自動車市場でBIG3に挑んだホンダ、いずれも市場は飽和状態であり、絶対的な王者というべき競争相手が既に存在していた。規模も事業経験も劣る日本企業の挑戦と成功はポジショニング戦略では説明のできない事象であった。

BCGはアメリカ合衆国におけるホンダのバイク市場での成功を経験曲線に基づくコストリーダーシップ戦略として説明したが、マッキンゼーのリチャード・パスカルはホンダに対するインタビューから当時のホンダに明確な戦略はなかったことを明らかにして、BCGの誤った分析を心理学用語のハロー効果と関連付けてホンダ効果と名付けた。キヤノンとホンダの躍進は技術力というケイパビリティに基づいた成功であり、有名なトヨタ生産方式も規模に頼らずに生産性向上を目指すものであった。日本企業の躍進はケイパビリティ派が勃興する契機となった。

★トム・ピーターズ(1942~)
マッキンゼーのトム・ピーターズは著書「エクセレント・カンパニー」において、超優良企業43社の分析から7つの成功要因である7Sを導き出した。Strategy(戦略)、Structure(組織構造)、System(組織運営)というハード面だけではなく、Staff(人材)、Skill(スキル)、Style(経営スタイル)、Shared Value(共通の価値観)というソフト面に着目した点が革新的であり、超優良企業では価値観の共有によるマネジメントが行われていることを示した。

◆ベンチマーキング
1980年代にはアメリカ企業の中からもベンチマーキングと呼ばれるケイパビリティ向上策が生まれる。他部署や他企業の優れた事例ベストプラクティスを学ぶベンチマーキングによって復活を遂げた企業がゼロックスである。ゼロックスは競合製品のリバースエンジニアリング、競合の業務プロセス調査という競合ベンチマーキング(業界内比較)から始め、さらに倉庫業務をアウトドア用品通販のL・L・ビーン、請求業務をアメリカン・エキスプレスから学ぶ機能ベンチマーキング(業界外比較)まで徹底して行うことでコスト削減に努めた。日本企業が無意識に行っていた業務改善活動はアメリカ企業によってベンチマーキングとして体系化されることになった。

★ジョージ・ストーク(1951~)
BCGのジョージ・ストークは農機具メーカーのヤンマー、トヨタやホンダといった日本企業の分析からタイムベース競争戦略を生み出した。当時のトヨタやホンダはGMやフォードの半分の時間で新車を開発する研究開発能力、多種類の商品を低コストで素早く納品する生産能力を有しており、ストークは日本企業の競争力の源泉が時間短縮による付加価値向上とコストダウンにあるのではないかと考えた。あらゆるプロセスにかかる時間を短くすることでコストは下がり、顧客の要望から対応までのリードタイムを短縮することで付加価値も上がる。ポーターが戦略の3類型でコスト低下と付加価値向上は二律背反であると論じたのに対して、ストークは著書「タイムベース競争戦略」において、時間短縮というケイパビリティによって両者が同時に実現可能なことを示した。分析可能なケイパビリティ戦略という点でタイムベース競争戦略は有用性があった。

★マイケル・ハマー(1948~2008)
MIT(マサチューセッツ工科大学)のマイケル・ハマーは著書「リエンジニアリング革命」で一世を風靡した。フォードの大量生産システムに代表されるように、分業は近代以降の急速な生産力拡大を支えてきた。一方、徹底した分業体制は個人や現場の自律的な行動を阻害し、コスト増加やサービス低下の原因ともなっていた。ハマーが提唱したビジネス・プロセス・リエンジニアリングは従来の職能別分業体制を見直し、職能横断的な業務プロセスへの変革を求めるものであった。しかし、実現の難しさゆえにリエンジニアリングの試みは多くが失敗に終わることとなった。

★ゲイリー・ハメル(1954~)&C・K・プラハラード(1942~2010)
ロンドンビジネススクールのゲイリー・ハメルとミシガン大学のC・K・プラハラードは著書「コア・コンピタンス経営」において、コア・コンピタンスという概念を提唱した。コア・コンピタンスとは収益につながる持続的で競合上優位なケイパビリティのことである。例えばシャープは液晶技術がコア・コンピタンスであり、この強みを活かしてビデオカメラのビューカム、PDAのザウルス、薄型テレビのアクオスを生み出した。競争力の源泉であるコア・コンピタンスを軸に事業を展開することで、ビジネス環境の変化にも対応して成長することができると論じられた。

★ヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950)&リチャード・フォスター(????~)
オーストリア出身のヨーゼフ・シュンペーターはイノベーション理論の始祖として知られる経済学者である。シュンペーターは著書「経済発展の理論」において、企業家の行う不断のイノベーションこそが経済を変動させると主張した。1970年代後半からITを中心としたイノベーションの時代が到来すると、イノベーション理論は改めて注目されるようになる。

マッキンゼーのリチャード・フォスターは2重のS字曲線を用いて、イノベーション普及の原理を示した。横軸が投入された資金や労力、縦軸が成果という図において、新しいイノベーションが古いイノベーションを抜き去るように2重のS字曲線が描けるというものである。シュンペーターがイノベーションの非連続性を論じたように、フォスターは企業の盛衰からイノベーションにおいて担当者の変更が生じることを示した。担当者の変更を防ぐためには、古いイノベーションによって得た利益を次の新しいイノベーションに向けて投資することが必要であると考えられた。

★フレッド・ターマン(1900~1982)&ハワード・スティーブンソン(1941~)
スタンフォード大学中興の祖として知られるフレッド・ターマンはスタンフォード・リサーチパークを創設して多くの先端企業を誘致し、シリコンバレーの生みの親となった。シリコンバレーをベンチャー企業の集積地として発展させ、HP、インテル、アップルといったIT企業群を生み出した。

1980年代になるとハーバード大学も対抗して企業家の育成に乗り出す。HBSにおいて企業家育成コースを立ち上げたハワード・スティーブンソンはアントレプレナーの特徴として、機会を追求した戦略、機会への素早い対応、経営資源の外部調達、フラットな組織構造、チーム単位の報奨システムを挙げて、既存の経営資源に囚われず機会を追求する姿勢こそアントレプレナーシップであると論じた。

★ピーター・センゲ(1947~)&野中郁次郎(1935~)
MITのピーター・センゲはシステム論の観点から企業を理解しようとした。センゲは著書「学習する組織」において、個人と集団の両方の継続的学習から企業の競争優位が生まれることを主張した。個人重視のアントレプレナー論に対して、「学習する組織」は組織重視のラーニング論を展開し、イノベーションを生み出す企業のあり方を論じた。

センゲの継続的学習という概念を具体化したのが一橋大学の野中郁次郎である。野中は著書「知識創造企業」において、共同化Socialization(個人+個人:暗黙知)、表出化Externalization(個人→集団:暗黙知→形式知)、連結化Combination(集団+集団:形式知+形式知)、内面化Internalization(個人:形式知→暗黙知)のプロセスから成るSECIモデルを用いて、個人と集団の中で新しい知識が生まれていく仕組みを示した。SECIモデルはチームでの知識創造、連続した漸進的なイノベーションの仕組みを説明していた点が注目を集めた。

★ジェイ・B・バーニー(1954~)
オハイオ州立大学のジェイ・B・バーニーは著書「企業戦略論」において、VRIO分析を用いて資源ベースの戦略論(Resorce-Based View)を展開した。VRIO分析はValue(経済価値)、Rarity(希少性)、Imitability(模倣困難性)、Organization(組織)という4つの観点から、経営資源が持続的な競争優位の源泉となるか見極めるものである。企業によって収益性が異なる要因を経営資源に求める資源ベース戦略は、外部環境の変化を考慮していない点、VRIO分析の経済価値という概念が曖昧である点、有効な経営資源を生み出すプロセスを示していない点など様々な問題を抱えていたが、ケイパビリティの包括的な分析が可能な点で注目を集めた。

0 件のコメント:

コメントを投稿