2016年4月3日日曜日

もし19世紀に1000万のドイツ人が東欧に移住していたら

19世紀は移民の世紀であった。18世紀以降、近代化を遂げて豊かになったヨーロッパ諸国はかつてない人口増加に見舞われ、多くの移民を海外に送り出すこととなった。最大の受け皿となったのはアメリカ合衆国であり、新大陸への移民の半数がアメリカ合衆国を目指した。アメリカ合衆国は移民によって急速に国力を増し、19世紀後半には大英帝国を抜いて世界最大の経済力を有するようになる。19世紀のアメリカ経済の担い手となったのはドイツ系の移民であった。イギリス系の移民が大西洋沿岸に移住したのに対して、ドイツ系の移民はアパラチア山脈を越えた中西部に移住することが多かった。アメリカ発展の原動力となったミシシッピ川流域の農業地帯と五大湖沿岸の工業地帯はドイツ系移民によって築き上げられたと言っても過言ではない。二度の世界大戦においてドイツはアメリカ合衆国の圧倒的な物量に敗れることになるが、アメリカ合衆国の巨大な生産力を支えていたのはドイツ系アメリカ人であった。もし19世紀のドイツ人がアメリカ合衆国への移住を選択していなければ歴史は大きく変わっただろう。

鍵となるのはオーストリア・ハプスブルク家である。ハプスブルク家は17世紀の三十年戦争に敗れてドイツの覇権を失うが、オーストリア、ボヘミア、ハンガリーを領有する中欧の大国として20世紀初頭まで君臨し続けた。三十年戦争の敗北がなければ、ハプスブルク家は神聖ローマ帝国に属していたネーデルラントやスイスも含む形でドイツ統一を早期に成し遂げて、18世紀の間にポーランドやバルカン半島への進出に成功していただろう。オーストリア・ハプスブルク家の2代目当主であるマクシミリアン2世はプロテスタント寄りの神聖ローマ皇帝であった。彼がプロテスタントへの改宗を決断していれば三十年戦争の様相も変わっていただろう。スペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世と神聖ローマ皇帝の位を争う展開になっていたかもしれない。

史実のドイツ帝国は19世紀後半にようやく東欧への進出を開始するが、ロシア帝国との対立、大英帝国の介入、東欧諸民族のナショナリズムによって東欧の支配には時間を要することとなった。政治的支配はナチスドイツの登場を待たなければならないが、ドイツ帝国の時代から東欧はドイツの経済的植民地となっていた。ドイツを統一したハプスブルク家が18世紀までに東欧の支配を確立していれば、19世紀のドイツ人はイングランド人が支配するアメリカ合衆国ではなく、関係の深い東欧に移住していたのではないか。仮に新世界へ旅立ったドイツ人が東欧に移住していたとすれば、19世紀の間に東欧に入植するドイツ人の数は1000万人に及ぶ。ドイツ帝国の人口は20世紀初頭には6000万人に達しており、1000万人は荒唐無稽な数字ではない。

ハンガリー平原はフランス平原に次ぐヨーロッパの穀倉地帯であり、ボヘミアとポーランドにはヨーロッパ有数の炭田が存在する。アメリカ合衆国の中西部と同等の条件が揃っており、優秀なドイツ人の入植によって東欧が史実よりも発展していた可能性は大いに有り得る。ソビエト連邦に支配されることなく、ドイツ帝国の一部として経済成長を遂げていれば、ドイツ化の著しい中欧に関してはイタリア程度の経済レベル、バルカン半島もスペインやポルトガル程度の経済レベルに達していたのではないかと思われる。中欧の人口は現在ポーランド3800万人、チェコ1000万人、スロヴァキア500万人、ハンガリー1000万人であり、6000万人のイタリアに匹敵する経済地域が生まれることになる。バルカン半島も6000万人を超える人口を有しており、イベリア半島を上回る経済地域となる。神聖ローマ帝国の旧領と東欧全域を支配するドイツ帝国のGDPは10兆ドル目前であり、アメリカ合衆国のGDPの約半分に達する。

18世紀からプロイセンが領有するシレジアの住民は民族的にはポーランド人であるにも関わらず、第一次世界大戦後の住民投票においてドイツ領に留まるべきという意見が半数を超えていた。これは長年のプロイセン支配によって、文化的にドイツ人と同質化したことによるものだと思われる。また、ドイツ経済に組み込まれてしまったため、独立よりもドイツ残留の方が経済的なメリットがあった。これはオーストリアに支配されていたボヘミアとハンガリーにも言えることであり、ドイツ人に支配されていた中欧諸国は市場経済に移行すると旧共産圏の中では一早く先進国の仲間入りを果たしている。ハプスブルク家による東欧支配とドイツ移民によって、東欧全域がドイツ化する歴史も有り得たのではないか。

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