2015年12月5日土曜日

もしドイツ帝国が大英帝国と同盟を結んでいたら

大英帝国は1902年に日英同盟を締結し、栄光ある孤立を捨てた。義和団事件を経て、中国大陸への進出を本格化させていたロシア帝国を牽制するためである。しかし、大英帝国が最も同盟を結びたい相手は大日本帝国ではなくドイツ帝国であった。ロシア帝国は極東方面だけではなく、中央アジアとバルカン半島においても南下政策を展開しており、大英帝国の地中海航路と最重要植民地であるインドを脅かす可能性が懸念されていた。ドイツ帝国はヨーロッパにおいてロシア帝国に対抗可能な唯一のランドパワーであり、1894年に締結された露仏同盟を牽制するためにも大英帝国としては同盟を結びたい相手であった。フランス共和国は植民地競争における最大のライバルであり、ドイツ帝国との同盟は大英帝国に多大な利益をもたらすはずであった。ドイツ帝国は露仏同盟との戦争によって二正面作戦を強いられることへの恐怖から、大英帝国との同盟を断り、ロシア帝国との友好関係を維持した。しかし、結局ドイツ帝国は十年後に露仏同盟を相手に第一次世界大戦に突入することになる。新航路政策によって対立する大英帝国も敵に回して、無謀な戦争がドイツ帝国を敗戦国へと追いやった。ロシア帝国とフランス共和国が相性の良いペアであるように、大英帝国とドイツ帝国も利害関係の対立が少ない最適なペアである。もしドイツ帝国が大英帝国との同盟を受け入れていたら歴史はどのように変化しただろうか。

ロシア帝国を仮想敵とするのはドイツ帝国と大英帝国だけではない。オーストリア帝国とスカンディナビア諸国もロシア帝国の脅威に晒されていた。オーストリア帝国は国内にスラブ民族を多く抱えており、バルカン半島においてロシア帝国と利害が対立していた。スカンディナビア諸国はフィンランドのようにロシア帝国に併合されることを恐れていた。スウェーデン王オスカル2世とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は汎ゲルマン主義によるスカンディナビア諸国、ドイツ帝国、オーストリア帝国の連合を構想しており、ロシア帝国の脅威に対してゲルマン民族の団結を唱えていた。ドイツ帝国はオーストリア帝国、イタリア王国と三国同盟を結んでいたが、チロル地方において領有権問題を抱えるオーストリア帝国とイタリア王国の協調を図ることができず、三国同盟は実質的に機能しなかった。それよりもドイツ帝国はゲルマン民族の連帯を重視して、スカンディナビア諸国、オーストリア帝国との連合に注力するべきだっただろう。

史実ではバルカン半島におけるロシア帝国とオーストリア帝国の衝突が第一次世界大戦の引き金となった。しかし、大英帝国とドイツ帝国が同盟を結んでいる場合、フランス共和国とロシア帝国がドイツ帝国の強大化を恐れて先制攻撃を仕掛けるというシナリオが考えられる。電撃侵攻したフランス軍はドイツ帝国の重要な工業地帯であるルール地方を占領し、兵器・弾薬の補給を妨げることでドイツ軍を苦しめる。その間にも東方からはロシア軍がベルリン占領を狙って押し寄せ、ドイツ帝国は二正面作戦を強いられるが、機動性に優れたドイツ軍が初戦においてロシア軍を撃退して長期戦に突入する。イタリア王国は露仏同盟側で参戦し、ロシア帝国と挟撃される形になったオーストリア帝国は窮地に陥る。アルプス山脈を越えたイタリア軍とハンガリー平原を突破したロシア軍はウィーンへの総攻撃を開始する。また、ドイツ帝国の工業はスウェーデン王国の鉄鉱石に依存しており、ロシア帝国はスウェーデン王国を占領することでドイツ帝国に致命傷を与えようとする。このためドイツ帝国はオーストリア帝国とスウェーデン王国を防衛するべく、陸軍を派遣して両国軍の指揮権を握ることとなる。

一方、大英帝国は海上輸送による物資の補給でドイツ帝国を支援する。フランス共和国はドイツ帝国への補給を断つためにハンブルクやブレーメンといった港湾を封鎖しようとするが、海軍力では大英帝国に敵わない。そこでフランス共和国は北海を航行する船舶をゲリラ的に襲撃する作戦に出る。フランス共和国の通商破壊作戦はオランダ王国とベルギー王国にも深刻な被害を与え、両国はドイツ帝国寄りとなる。オランダ王国とベルギー王国を経由したドイツ帝国への補給を断つため、フランス共和国は両国を占領する。さらにフランス共和国は中立国であったスイス連邦の領土を経由してドイツ帝国に進撃する戦略を立てる。スイス連邦はフランス共和国の申し出を断り、こちらもフランス軍による占領の憂き目に遭うことになる。

二正面作戦によって優位に立っていた露仏同盟であったが、戦争の長期化によって困窮したロシア帝国では社会主義革命が発生する。革命勢力が首都サンクトペテルブルクを包囲するに至り、ロシア帝国はついに戦線を離脱する。西部戦線に注力できるようになったドイツ帝国は一転して攻勢に出るようになり、オランダ王国とベルギー王国を解放し、パリの包囲に至ったところでフランス共和国は降伏する。大戦によってゲルマン民族のナショナリズムは大いに高揚し、露仏同盟に占領されていたゲルマン諸国では解放軍であるドイツ帝国の威信が高まった。そしてオーストリア帝国、スウェーデン王国、ノルウェー王国、デンマーク王国、オランダ王国、ベルギー王国、スイス連邦の7か国はヴェルサイユ宮殿においてドイツ帝国への合流を宣言する。

終戦後のドイツ帝国は一転してロシア帝国と同盟を締結する。大戦中に発生した社会主義革命によって風前の灯となっていたロシア帝国であったが、ドイツ帝国の支援によって息を吹き返す。社会主義革命を鎮圧することに成功したロシア帝国は命脈を保ち、東欧の支配はドイツ帝国に譲ることとなる。東欧諸民族はナショナリズムを認められるが、ポーランド、チェコ、ハンガリー、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャの東欧7か国はいずれもドイツ帝国の保護国とされた。

第一次世界大戦が始まるまで、ヨーロッパは大英帝国、フランス共和国、ドイツ帝国、ロシア帝国の四大国が君臨する地域であったが、戦後は大英帝国とドイツ帝国の二強体制となる。ただし、大英帝国は世界最大の面積を有する植民地帝国ではあるが、ヨーロッパ大陸においてはゲルマン民族を統合したドイツ帝国の影響力が圧倒的であり、ドイツ帝国の人口規模は大英帝国の3倍近くにも及んだ。大英帝国にとって誤算となるのはドイツ帝国が宿敵ロシア帝国と同盟を結んだことである。ロシア帝国との同盟によって東方の安全を確保したドイツ帝国はヨーロッパ大陸において敵無しの状況を作り出す。また、ロシア帝国の豊富な資源と巨大な市場を獲得したことで、産業力でも大英帝国を完全に追い抜くようになる。ロシア帝国もドイツ帝国の支援によって近代化を進め、敗戦後に急速な経済成長を遂げる。ロシア帝国とアメリカ合衆国の地理的な類似性においてロシア帝国の地理的なポテンシャルを述べたように、社会主義革命が起こらなければロシア帝国は史実以上の発展を遂げていたと思われ、大英帝国に匹敵する経済力を備えるようになる。

ヨーロッパの覇権をめぐって大英帝国とドイツ帝国の緊張関係は増していくが、戦後しばらくは大きな戦争のない穏やかな時代が続く。しかし、アメリカ合衆国を震源に世界恐慌が発生すると情勢は一変する。アメリカ合衆国、大英帝国、ドイツ帝国の三大国は経済ブロックを構築して大恐慌に対応することができたが、後発の列強であるイタリア王国とスペイン王国は恐慌に対応することができず、植民地拡大によって大恐慌を乗り越えようとする。1930年代にドイツ帝国はイタリア王国とスペイン王国の北アフリカ侵攻を支援する中で両国と同盟を結ぶ。

ドイツ帝国はヨーロッパに留まることなく、中東にも勢力を拡大する。史実と異なり、第一次世界大戦に参戦しなかったオスマン帝国は崩壊を免れたが、アラブ民族の居住地域であるシリアやアラビア半島をめぐってエジプト王国との対立が続いている。ムハンマド・アリーが築いたエジプト王国はアラブ民族主義を掲げ、シリア、イラク、アラビア半島への進出を続けている。スエズ運河を運営する大英帝国はエジプト王国を支援するため、ドイツ帝国は対抗してオスマン帝国を支援する。一方、ベルリンからイスタンブールを経由してバグダードに延びる鉄道を敷設すると、ドイツ帝国の中東支配は強固なものとなっていく。ドイツ帝国は国内のユダヤ人問題を解決するため、シオニズム運動を支援してイスラエルの建国にも尽力する。イスラエルはドイツ帝国の中東植民地としての性格を有するようになる。

大英帝国はフランス共和国が領有していた広大なアフリカ植民地を獲得し、中国からロシア帝国の影響力を排除することにも成功して、世界を覆う植民地帝国を築き上げることに成功する。ドイツ帝国と同様に第一次世界大戦によって大英帝国も国力を大きく上昇させた。しかし、世界中に広げた植民地の経営コストは大英帝国の財政を次第に苦しめていき、経済力でもアメリカ合衆国とドイツ帝国に抜かされて世界第三位の地位にまで転落してしまう。植民地にも独立の動きが見え始め、ドイツ帝国は英領インドにおいてイスラム地域の分離独立を画策する。

中国大陸では袁世凱の死後、軍閥が各地に割拠して内戦状態となる。各軍閥はロシア帝国、大日本帝国、大英帝国といった列強の支援を受けて戦争を行ったため、中国大陸の内戦は列強の代理戦争の様相を呈するようになる。特に世界恐慌によって著しく経済状態が悪化した大日本帝国は中国大陸への侵略を露骨に行うようになっていく。ロシア帝国は奉天派の張作霖と共同で満州から大日本帝国の勢力を排除する計画を企て、1920年代後半に第二次日露戦争が勃発する。青島のドイツ海軍と旅順のロシア海軍は大日本帝国の連合艦隊を撃退し、ロシア帝国はシベリア鉄道によって膨大な兵力を中国大陸に展開する。

一方、ヨーロッパにおいて世界恐慌の影響を受けて最初に破綻したのはフランス共和国であった。第一次世界大戦に敗れて海外植民地を全て大英帝国に奪われたフランス共和国の経済は落ち込みが激しく、パリで社会主義革命が発生するに至る。ドイツ帝国はイタリア王国、スペイン王国と共同で革命鎮圧に乗り出し、瞬く間にパリを占領する。ここに大英帝国はドイツ帝国との戦争を決断し、英仏連合軍によるパリ解放作戦が始まる。極東におけるロシア帝国と大日本帝国の衝突と合わせて、独露同盟と日英同盟の対立は第二次世界大戦へと発展する。

結果としては独露同盟が地政学的優位性を活かして勝利を勝ち取り、大英帝国はヨーロッパ大陸から、大日本帝国は中国大陸から追い出されることになる。しかし、大陸市場が失われることを恐れたアメリカ合衆国はついに孤立主義を捨てて、大英帝国、大日本帝国とシーパワーの同盟を結ぶ。ヨーロッパ大陸ではノルマンディー上陸作戦に失敗するものの、極東では原子爆弾を青島と旅順に投下し、ドイツ海軍とロシア海軍を一掃した。ドイツ帝国は大陸弾道ミサイルを開発してアメリカ合衆国東海岸に報復攻撃を開始し、フィラデルフィアを焦土と化す。互いが互いを殲滅する能力を持っていることが判明し、両陣営は急速に和解へと方針を転換させる。第二次世界大戦の終結後、ドイツ帝国とアメリカ合衆国の冷戦が始まる。

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